こんな奴らと俺は違う。と思っている仮面浪人は何も成長できない。

僕が大学に入りたての頃、はてなブログ時代に書いたエントリから加筆修正をして転載したものです。

突然の告白ですが、僕は中堅レベルの私大で1年生の間、仮面浪人をしていました。その結果、第一志望の大学に合格することができ、現在通っています。
現在の生活と仮面浪人前の生活を比べると正直、充実感や友情・人間関係などの密度が全く違います。親に迷惑をかけて仮面浪人をした甲斐があったと感じています。

逆に仮面浪人をせずにあのまま中堅私大に通っていたらどうなっていたのかは想像するたびぞっとします。
受験のために、友人は最低限。大学で打ち込めることは無し。成績も優秀でない…。

これだけ聞くと合格したんだから結果オーライじゃん、と思えるかもしれません。確かに私も合格できてよかったと思っています。
しかし私は実際に受かってみて、仮面浪人の時の方が楽だったと感じる部分もあります。

それは仮面浪人はそれ自体がアイデンティティだからです。

具体的にお話しさせてください。
普通、人は自分の所属するコミュニティの中で、他人と自分を比較することで自分というものを知っていきます。
たとえば私は他者を楽しませることが得意だ。他の人より数学が得意だ。人の気持ちをおもんばかるのが苦手だ。というように他者との関わりの中で自分の能力が分かっていきます。

仮面浪人は自分一人で完結している割に他人に目が向きがちな時期です。
そのため思考は以下のようになっていきがちです。

「俺はこんな奴らよりレベルの高い大学に行くんだから、こんな奴らとはうまく付き合えなくてもいい。受験のためだから、こんな奴らと同じように単位は取れなくてもしかたない…。」

つまり”こんな奴ら”中心の思考になっていくのです。自分の足りない部分に目を向けるのではなく、”こんな奴らがやっていること”と馬鹿にすることで精神衛生を保とうとしてしまいます。
このように考えているうちに、自分と真摯に向き合えなくなります。
そうして仮面浪人の1年間を最大限に活用できないまま終えてしまうのです。

自分と向き合い、そして他者にも目を向けることで自分の良いところ・悪いところが分かってきます。
仮面浪人という立場では別の大学に進学するつもりなので、今通っている大学の友人達に目を向けなくても問題ありません。そのため、他者との比較をしなくて済みます。

だから仮面浪人をしている間は心からの競争が無く、ぬるま湯に浸かっている感覚です。自分と向き合わなくて済む。それはすごく楽なんですね。
でもそれが成長に繋がるかと言えばそうではない。

仮面浪人の時が楽だったというのはぬるま湯に浸かっていられるから。
他人の能力を気にしなくて良いから、結果的に自分と向き合うこともしなくて良い。人として成長はしないけれど、その分精神的に楽をすることができるということです。

僕は今、第一志望の大学に通って、毎日四苦八苦しています。
面浪人の時は楽で良かったなあと思う時もありますが、現実に向き合って戦っている今の生活が段々と好きになってきました。
陳腐な言葉ですが、頑張るっていうのはそれだけで素晴らしいものです。

僕はまじめな浪人生ではなかったので、勉強せずに自分と向き合ってばかりいました。当時の彼女にも思いっきり振られて落ち込んでいたというのもあり、根本的に自分を変えようと考えていたからです。

そうして僕は仮面浪人の1年間で自分と向き合いまくり、モテたり、人から褒められさえすればかなり頑張れるという新たな一面を発見しました。その自己発見は今もさりげなく役立っています。

“こんなやつらとは違う。ここの人間なんて気にしない。”と普段から思っている方。そう思っているうちは時間がもったいないです。
“そんな奴ら”と馬鹿にせずに良いところを盗むつもりで付き合っていくか、あるいは尊敬できる人たちとだけ付き合いながら自分と向き合っていきたいと僕は思います。

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